アメリカのインダストリアルデザイン

by k.a.t.a

発表

1 インダストリアルデザインが誕生するまでの、アメリカのスタイル

○そもそもインダストリアルデザインとは…
1910年代のアメリカで大量生産・大量消費の時代に生まれた言葉
工業デザインのことです。
“ジョーゼフ・サイネル”という人が一番最初にこの言葉を使いました。


○19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカ
需要に反して供給が不足 ⇒ コンベアー式製造システム(流れ作業)が稼働
アメリカの産業組織は、手加工よりも機械生産に頼るようになります。
大量生産方法とそれに必要な工作機械では世界中で指導的な立場にありました。

自動車生産ではアメリカが常に世界の先頭を切っており、流れ作業を生産方式に導入し世界の業界を支配するまでになりました。

こうして機能主義美学のシンボルとして世界の評判を得ます。

大量生産による低価格の車を供給

機械化による大量生産と大量消費を前提としたデザインに
いかに商品を購入してもらうかが、デザインの最重要課題となっていく

1929年10月・世界大恐慌
企業は不況に陥り、新たな設備投資によるコストを避けるため、
製品の本体は変えず、表面のスタイルを変える事で売上を確保しようとします(=スタイリング)
表面のスタイルを変えれば、消費者は従来の物が古臭く感じられ、新たな消費に向かいやすくなると考えたからです。
大恐慌によってアメリカのデザインは、よりいっそう明確に経済的成功の為の手段となっていきました。



2 インダストリアルデザインを象徴するもの

● スカイスクレイパー(摩天楼)
高層建築物の中でも特に高い建築物。摩天楼は天を摩するほどの高楼。

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● ストリームライン(流線型)
カーブした外形、長く伸びた水線、そして時には欄干や丸窓といった海事的な要素を強調したもの。
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<代表的なもの・作品>

・1908年・T型フォード      (ヘンリー・フォード社)

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・1894年 ギャランティビル       ルイス・サリヴァン
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・1931年 エンパイア・ステート・ビルディング 
 建築家集団(リッチモンド・H・シュリープ、ウィリアム・F・ラム、アーサー・L・ハーモン)
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・1932年 外洋定期船          ノーマン・ベル・ゲッデス
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・1934年 鉛筆削り        レイモンド・ローウィ
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・1935年 冷蔵庫『コールド・スポット』 レイモンド・ローウィ
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・1934年ー43年  鉄道の機関車  レイモンド・ローウィ
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・1945年 ウィチタ・ハウス     ウォルター・ドゥーウィン・ティーグ
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・1948年 ジョン・F・ケネディ空港  エーロ・サーリネン
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・1958年 ジオデジック・ドーム   バックシンスター・フラー
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3 代表的なデザイナー

インダストリアルデザインが職業として社会的に認められるようになるのは1920年代末から1930年代。

1927年にノーマン・ベル・ゲッディスという人が最初にインダストリアルデザインの事務所を開きます。後に”ウォルター・ドーウィン・ティーグ”がそれに続くことになります。


初期のインダストリアルデザイナーとして活躍した人達
”レイモンド・ローウィー”・・・1919年フランスからアメリカに渡った日本のたばこ『ピース』のデザインで有名。著書に『口紅から機関車まで』があります。
商品のパッケージから電化製品、自動車、鉄道まで広い才能を持ち『ストリーム・ライン(流線型)』と呼ばれる造形を進めました。
シアーズ社の『コールド・スポット』(↑の方に画像があります)という冷蔵庫が消費者の要望に答えた製品で、一躍業界のトップに躍り出ます。

・「コカ・コーラ」
・ナビスコ「リッツ」
・ガソリンスタンド「シェル」
などのマークも手がけています。

”ノーマン・ベル・ゲッデス”・・・1928年に最初のストリーム・ラインの機関車を発表。その後自動車や客船等を展開していきました。
あくまでモノには機能が有り、その結果として形が生まれると言う思想をデザインに反映させました。

”ウォルター・ドーウィン・ティーグ”・・・1929年の世界大恐慌を経て、アメリカのデザインが一層経済的成功のための手段となっていく中で、より消費者に受け入れられる造形と、収益が上がる生産性を提案することを標榜しました。



バウハウスが閉校し、ナチスの台頭により活動の制限を感じはじめたヨーロッパのデザイナー・建築家達の多くが次々とアメリカへ亡命することになります

亡命した代表的なデザイナー・建築家達

”ヴァルター・グロピウス”・・・建築家
”モホリ=ナギ”・・・写真家、画家、タイポグラファー、美術教育家
”ミース・ファン・デル・ローエ”・・・建築家
”ヘルベルト・バイヤー”・・・画家、デザイナー、写真家


”モホリ=ナギ”はシカゴで『ニュー・バウハウス=アメリカン・スクール・オブ・デザイン』の校長となり、後に『ビジョン・イン・モーション』を著します。
それはその後のデザイン教育のスタンダートとなります。
ここで新しく始まったデザイン教育により多くの人材を輩出していきます。



4.スタイルの変化

従来の価格を重視するというスタイル

消費者のニーズに応え購買意欲を向上させるスタイルへと変化。


5.インダストリアルデザインの展開

インダストリアルデザイナー達はヨーロッパの影響を巧みに消化しながらアメリカ独自のデザインを展開させるようになった

○ミッドセンチュリーの誕生

第二次世界大戦でヨーロッパは疲弊 ⇒ アメリカが経済の中心となる

1950~1960年代「ミッド・センチュリー」と呼ばれるデザインが誕生

○ミッドセンチュリーとは…

機能性・合理性を追求したデザインでありながら、軽快で曲線的な作品が多いのが特徴。プラスチックなどの新素材も多く取り入れられ、近未来的なデザインが生み出されました。

○50年代~60年代にかけてのインダストリアルデザイン

「計画的廃物化」の原理、生産高の増大のためにデザインを変え消費を促す動きが生まれ、数々の批判を受けながらも発展。

こうした発展の背景にはアメリカ的精神に基づいた個人主義、画一主義に関係していると言われている。


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# by katayamasensei29 | 2014-05-30 10:09 | 発表まとめ

インダストリアル

http://www.sett-furniture.com/shopping/03.html

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# by katayamasensei29 | 2014-05-30 09:27